日本の綿(ワタ)の起源とされる伝説を紹介します。
西暦799年頃、崑崙人(天竺人)が綿の種を持って三河国(現・愛知県西尾市付近)に漂着し、この地で初めて綿が蒔かれたと伝えられています。
三河は、約1200年前から綿の歴史が始まった、まさに日本の木綿発祥の地です。
国産木綿が文献に初めて登場するのは16世紀初頭(永正7年・1510年)の記録で、「三川木綿」として年貢の徴収対象となっていたことが記されており、当時すでに三河産の木綿が経済的に重要な産物であったことがわかります。
室町時代末期、三河を平定した松平家康(後の徳川家康)は、鉄砲の火縄にも使われるなど軍事的な役割もあった木綿業を保護し、その発展を後押ししました。
江戸時代を通じて三河地方では綿の栽培が盛んになり、丈夫で質の良い綿織物が地域の主要産業として根付きました。
この地方の織物は、特に縦縞模様のものが知られ、「三河木綿・三河縞」という地域ブランドとして、全国の人々に普段着や野良着として広く愛用されました。その丈夫さと素朴な風合いが特徴です。
明治時代以降、西洋の紡績・染色技術を取り入れ、生産が量産化されます。
伝統の「三河木綿」「三河縞」は「質の良い綿織物」という評価を不動のものとし、さらに販路を全国に拡大しました。
平成19年(2007年)2月2日、三河地方で生産される伝統ある木綿織物の価値を守り、さらなるブランド化を図るため、当組合(三河織物工業協同組合)により地域団体商標「三河木綿®」が登録されました。
これは、1200年に及ぶ三河の綿織物の歴史と、現代に受け継がれる品質が公的に認められた証です。
長年の歴史で培われたジャガード織機などの技術は、厚地で丈夫な木綿を織り上げることを得意としています。
その技術と品質は現代にも活かされ、寝具、ベビー用品、衣料品など、さまざまな商品に姿を変えて私たちの生活を豊かにしています。
三河木綿工業組合は、この歴史と伝統を重んじつつ、新しい技術やデザインを取り入れ、地域ブランドとしての三河木綿を次世代へ繋ぐため、日々奮闘しています。